← 地図に戻る
- 国:フランス - 地域:イル=ド=フランス地域圏、パリ市北部(18区・19区境界付近) - 気候・地形:西岸海洋性気候。冬は0〜5℃で曇天が続き、夏は25℃前後。セーヌ川沿いの平坦な盆地。石灰岩基盤の上に積み上がったオスマン様式の建築群が密集する。 - 暮らしの基本:人口密度が高い都市型居住。アパルトマン(集合住宅)での暮らしが主流。食料品はスーパーマーケット(Carrefour、Franprix等)、街区のビストロ、移民系の小売店が混在する。公共交通(メトロ)依存の生活圏。 ---
石畳は濡れている。朝の雨がそのまま乾かずに残っている。歩道の端に黄色いプラスチックの駐車禁止ポールが二本、斜めに刺さっている。 あなたは18区の路地を歩いている。通りの名前は小さな青い表示板に白字で書かれているが、読み取る前に角を曲がる。六階建ての石造りのアパルトマンが両側に連なり、一階部分はタバコ屋と、シャッターの半分下りたブランジェリーと、無記名の修理店になっている。排気管のような金属の筒が外壁を這い、二階の窓の外には物干しざおが突き出ている。灰色のソックスが二枚。 立ち止まる。靴底にガムが貼りついた感触がある。あなたは地面を見る。縁石の際に、潰れたエスプレッソのカップ。その隣に犬の糞。 コートの前を合わせる。11月の風が正面から来る。 アパルトマンの入口扉が開き、年配の女が手押し車を引いて出てくる。押さえていない扉が金属音を立てて閉まる直前に、あなたは中に入る。別に何も言わない。そういう場所だ。 中庭に出ると、砂利が靴の下でくずれる。四方を建物に囲まれた四角い空間で、上空が四角く切り取られている。郵便受けの列が左手にある。一番下の郵便受けに手書きの名前:GIRARD。インクが滲んでいる。 三階。廊下の照明は動体センサー式で、あなたが動くたびにつき消えする。突き当たりの扉をノックする。 開けたのはマルク・ジラール、56歳だ。地下鉄の保線作業員。グレーのジャージの上に紺のカーディガン。左の袖口に塗料の跡か何かの白い染み。顎に三日分の無精髭。 「ああ、エロディの知り合いか」 中に通される。 玄関は狭い。コートをかける鉄製のフックが壁に三本打ってある。靴が五足、不規則に並んでいる。スニーカー、革靴、工業用の安全ブーツ。 居間に入る。テレビが点いている。音量を下げる様子もない。8畳ほどのスペースに、布張りのソファが一つ、折りたたみのパイプ椅子が二脚、低いガラステーブル。テーブルの上には新聞とリモコンと使いかけのロールペーパー。壁に棚があり、食器と本と薬の箱が一緒に並んでいる。 「座れ」 マルクがキッチンに消える。 居間の奥、キッチンとの境目はない。IHコンロが二口。その上の棚にオリーブオイルの瓶、マスタードの瓶、塩の容器。換気扇から音がしている。ジジジという小さな機械音。 鍋が火にかかっている。アルミの鍋で、フタが少しずれている。その隙間から蒸気が細く出ている。脂と肉の匂い、それから何か甘い匂い。玉ねぎが長時間加熱されたときの匂い。 廊下の奥から足音。娘だろうか、10代後半の女。ヘッドフォンを首にかけたまま、あなたに軽く頷いて冷蔵庫を開ける。缶のサイダーを一本取って消える。 マルクが鍋のフタを外す。中を覗かずに木べらでかき混ぜる。慣れた動きだ。 「もう少しだ」 テーブルはキッチンの隅にある。折りたたみ式で、広げると四人分の席になる。マルクが引き出しからフォークとナイフを出して並べる。布のランチョンマットではなく、直接テーブルの上に。パンが一本、切り分けもせずにそのまま置かれる。バゲットではなく、もう少し丸みのある形のパン。端が硬そうだ。 マルクが鍋をそのままテーブルに持ってくる。なべつかみは使わず、カーディガンの袖で取っ手を持つ。 フタを開ける。 白い湯気が上がる。鍋の中は茶色い液体で、表面に脂が浮いている。沈んでいるのは野菜と肉塊だ。人参の輪切りが崩れかけている。肉は繊維に沿って割れていて、端が暗い茶色になっている。液体の色はワインに似ているが、もっと深く濁っている。 玉ねぎの匂いが鍋全体から出てくる。その下に肉の匂い、それからハーブの何か。タイムか、それとも別の何かか。 マルクが立ったまま、鍋から直接自分の皿に液体ごと盛る。 あなたに向かって顎をしゃくる。 「食え」 ---
今日のふらりごはん

ブッフ・ブルギニョン / Bœuf bourguignon

Bœuf bourguignon(ブッフ・ブルギニョン)/ 牛肉の赤ワイン煮込み

この料理について

もとはブルゴーニュ地方の農家料理で、硬い部位の牛肉を赤ワインで長時間煮込んで柔らかくしたものだ。現在はパリ市内のビストロでも家庭でも作られ、週末の昼食や寒い季節の平日夕食として登場する。手間はかかるが材料は安価で、翌日の残りがむしろよくなるため、まとめて作る家庭が多い。

材料(4人分)

食材分量日本での入手備考
牛肩ロースまたは牛すね肉800gスーパー、業務スーパー4〜5cm角に切る。硬い部位が適している
赤ワイン(フルボディ)750ml(1本)スーパー、コンビニ安価なもので可。ピノ・ノワールが定番だが、カベルネでも可
牛スープストック(または水)200mlスーパー(固形スープの素で代用可)固形の場合は1個を200mlのお湯で溶く
玉ねぎ2個(中)スーパー粗みじんと小玉ねぎ(ペルル)の両方をレシピに応じて使う
人参2本スーパー輪切り
ベーコン(ラルドン)150gスーパー、KALDI角切りの厚切りベーコンで代用可。薄切りは不向き
マッシュルーム200gスーパー丸ごとまたは四つ割り
ニンニク3片スーパー軽く潰す
トマトペースト大さじ1スーパー少量でよい
小麦粉大さじ2スーパー肉にまぶす用
ブーケガルニ1束KALDI、富澤商店、または手作りタイム・ローリエ・パセリの茎を束ねたもの。乾燥タイム小さじ1+ローリエ2枚で代用可
サラダ油またはバター大さじ2スーパー炒め用
塩・黒こしょう適量スーパー

アレルゲン:小麦(粉)、乳製品(バターを使用する場合)、亜硫酸塩(ワイン)

ソース照合メモ

食材・工程フランス語ソース(fr)英語ソース(en)日本語ソース(ja)判定
牛肩ロース・すね肉○(paleron, gîte)必須
赤ワイン(大量・1本)必須
ベーコン(ラルドン)炒め○(lardons)必須
小麦粉をまぶして焼く必須
ブーケガルニ(タイム・ローリエ)必須
マッシュルーム必須
トマトペースト○(現地では少量)○(一部ソース省略)必須(少量)
人参必須
煮込み時間2〜3時間必須
ブランデー・コニャック△(一部ソースのみ)オプション
小玉ねぎ(グラッセ)○(現地で頻出)地域固有・推奨

この料理を成立させる核

  • 牛肉をワインに一晩以上マリネしてから使うか、または煮込みにワインをたっぷり(750ml前後)使うこと。水や出汁で薄めすぎると別の料理になる
  • ラルドン(角切りベーコン)を最初に炒めて脂を出し、その脂で肉を焼く。この手順が風味の基盤になる
  • 肉に小麦粉をまぶしてから焼く。これで表面が焼き固まり、煮汁がとろりとした質感になる。粉を省くとさらさらしたスープになる
  • ブーケガルニを必ず入れる(タイム+ローリエ最低限)。これがフランスの煮込みとアジアの煮込みを分ける要素
  • 弱火で2〜3時間、沸騰させずに煮込む。強火で短時間では肉が硬くなり、ソースが分離する
  • マッシュルームは最後の30分前後に加える。最初から入れると溶けてなくなる

作り方

  1. 牛肉は4〜5cm角に切り、塩・黒こしょうを全体にふる。小麦粉をまぶして余分な粉を落とす。
  2. 厚手の鍋(またはダッチオーブン)にサラダ油またはバターを中火で熱し、角切りベーコンを炒める。脂が出てきたらベーコンを取り出し、同じ鍋で牛肉を全面焼き色がつくまで焼く(2〜3分ずつ)。焼いた肉を取り出す。
  3. 同じ鍋に玉ねぎ(粗みじん)とニンニクを入れ、中火で5分炒める。しんなりしたらトマトペーストを加えてさらに1分炒める。
  4. 人参の輪切りを加えて混ぜ、赤ワインを全量注ぐ。木べらで鍋底をこそいで焦げを溶かす。
  5. 牛スープストック(または水200ml)を加え、肉とベーコンを鍋に戻す。ブーケガルニを入れる。
  6. 沸騰直前まで加熱したら弱火にし、フタをずらしてかぶせた状態で2〜2時間半煮込む。途中で表面のアクと脂をすくう。
  7. 残り30分のタイミングで、マッシュルーム(丸ごとまたは四つ割り)を加える。
  8. 肉が箸やフォークで抵抗なく割れる状態になったら火を止める。ブーケガルニを取り出す。塩で味を調える。

食べ方

パンを添えてソースをすくいながら食べるのが基本。茹でたジャガイモ、または卵入りパスタ(タリアテッレ)を添えると一皿で完結する。パリの家庭では鍋ごとテーブルに出すことが多く、個別盛りつけにこだわらない。

補足

  • 失敗しやすいポイント:強火で沸騰させ続けると肉が締まって硬くなる。鍋の中がふつふつと小さく揺れる状態(フランス語でfrémir)を維持すること。
  • 代用提案の風味差:ワインを安価なものにしても問題ないが、ジュースのような甘口ワインは使わないこと。「料理用ワイン」として売られている低品質な塩入りのものも避ける。牛すね肉の代わりに牛バラ肉でも作れるが、脂が多くなりソースが重くなる。
  • 時短バージョン:圧力鍋を使えば40〜50分で同等の柔らかさが得られる。ただし蒸発が起きないのでソースの濃度が出にくく、最後にフタを外して5〜10分煮詰める工程が必要。
  • 翌日の楽しみ方:冷蔵庫で一晩おくと脂が固まって取り除きやすくなり、味が均一に落ち着く。温め直す際は弱火で、沸騰させないこと。
この地点で別の旅に出る →

同じ場所でも、毎回違う家族・違う偶然・違う料理になります。

この旅を共有する